JOURNAL
ENと禅 美しき日々をならう
一筆走らせた刹那、空虚な窓がやさしく霞む。
まぶたの裏に満ちてゆくのは、心ほどく香りの束。
始まりも終わりもない。いま在る自分こそが自分なのだから。
身の内に泡立つ波は、洗い流してしまえばいい。
一服に時を委ね、懐かしい深淵に辿り着く。
美しい味との邂逅。
そしてふたたび、呼吸を思い出す。
日本の茶文化と禅とは、深い縁があります。宋で修行を積んだ鎌倉時代の禅僧・栄西が、抹茶の原料となる「碾茶(てんちゃ)」と、禅における飲茶の礼法「茶礼(されい)」を日本にもたらしたのです。EN TEAのブランドロゴに用いられている「円相」は、禅の書画であり、悟りや真理の象徴。時には見た人の心を映し出す窓として解釈されることもあります。一筆書きで描かれる「円」は全てが繋がっていて、自然と人、心とからだ、日々の全てが「縁」となって続いていくことを教えてくれます。
茶文化というと、格式高い茶道を連想される方も多いでしょう。しかしEN TEAが目指しているのは、日々の暮らしの中にある茶の基準値を上げ、現代人の心に余白を生み出すこと。日常の生活を修行と捉え、丁寧な所作が人格をつくると考える禅の教えに近しいと考えています。
この連載では、禅の思想を学びながら、豊かな日々を紡ぐ新習慣を紐解いていきます。教えてくださるのは、普門寺住職の吉村昇洋さん。禅を身近に感じてほしいと、臨床心理士や精進料理講師として多方面で活躍されている方です。第1回目のテーマは「整える習慣」。昇洋さんの答えから、4つのキーワードが見えてきました。
「自分の中の憂いをつくっているのは、汚れたままにしている自分自身です」
KEY WORD
HABIT / ENVIRONMENT / TUNE UP / BEAUTIFUL
HABIT
僧侶にはどんな習慣がありますか?
「戒律」という生活規律がありまして、朝起きたらこれをしなきゃいけないとか、その時間に何をするかが全て決められています。「戒」とは努力目標のこと。悪いことをせず、よいことを習慣化していきましょうという意味合いです。また「律」とはルールのこと。修行僧は共同生活を送りますから、トラブルが起きないようにルールを設けておきましょうということです。
禅には清らかな規律と書いて「清規(しんぎ)」という独自の戒律があります。そのベースとなるのが「『禅』と『戒』は一体である」という「禅戒一如(ぜんかいいちにょ)」の考え方。すなわち、戒律を守って生活すること自体が禅そのものなのだということです。例えば雑巾がけにしても、絞り方から拭き方までルールが決まっています。そこからはみ出てしまうということは、自分の中に弱さがあるということ。禅の基本は過去でも未来でもなく「今この瞬間」です。常に今この瞬間の自己の有り様を見つめ、弱さに向き合い反省する。こうした積み重ねこそが禅を体現しているのです。
一般的なルーティンというものは、私からするとどこか神経質に見えてしまいます。ルーティンをこなすことで安心を得ようとするから、ルーティンが崩れた時に不安定になってしまう。すごくナンセンスですよね。日々に気を配ってさえいれば、安心を得る方法は他にいくらでもあるはずです。ルーティンは「未来を成功させるための仕組み」のように捉えられがちですが、禅で大切なのは「今この瞬間」。そこが大きな違いだと思います。
ENVIRONMENT
生活環境を整えるには何から始めればいいのでしょうか?
やはり片付けが基本です。例えば調理の一番最初にシンクを洗って、常に清潔に保っておく。「シンクに食材を落としたらもう使えない」と思うだけで憂いが生まれますよね。その憂いを誰がつくっているのかというと、汚れたままにしている自分自身です。まずは自分で自分の首を絞めていることに気付けるかどうかが重要です。
また、手放すことも1つの方法です。物を持ちすぎると物に縛られて、手放すのがどんどんしんどくなります。でもそれはただの囚われで、ないならないで生きていけるんです。むしろ余計なことに煩わされずに済む。ただ「手放さなきゃいけない」と自分を追い込んでしまうとかえってよくありません。物を持たない自分に出会い、その状態に慣れ親しむことが環境を整える第一歩になります。
TUNE UP
自分自身を整える上で大切にしていることは何ですか?
多様な人と「サンガ」を形成することです。仏教には尊ぶべき3つの宝「仏・法・僧」があり、「仏」はお釈迦さま、「法」はお釈迦さまの教え、「僧」はともに学ぶ仲間を指します。この「僧」の集団がサンガで、仲間同士で励まし合うコミュニティであると同時に、互いに刺激し合い、学び合えるのが醍醐味です。
最近では仏教の心理学と呼ばれる「唯識(ゆいしき)」の勉強会に行ったり、真言宗須磨寺寺務長の小池陽人さんとYouTubeで動画配信をしたり、自身を「ニート仏教徒」と称す魚川祐司さんと意見を交わしたりと、さまざまなサンガに定期的に参加しています。さらに仏教だけでなく、キリスト教の聖職者とも仲良くさせていただいています。宗派や宗教を超えて交流することで、これまで知らなかったものの見方に出会うことができるんです。これがすごく面白くて、心地いいんですよ。自分の中の漠然としていた思想が、対話によって整っていくといいますか。だからこそサンガにはいろんな人がいて、いろんな形があった方がいいと私は思います。複雑にうごめいていることが楽しいのです。
BEAUTIFUL
EN TEAでは飲み手とつくり手の調和がとれた茶を「美しい」と定義し、美しい茶こそが人々の心に真の和らぎを与えると考えています。昇洋さんにとって「美しい」とは?
禅の食事作法です。箸の角度から口に入れる量、食べる速度まで細かく作法が定められており、間違えずにできるようになるまで数ヵ月はかかります。永平寺で修行していた頃、食事中にふと周囲へ目をやると、それぞれが違う器を手にしているにも関わらず、所作はピタリと同じでした。作法上、咀嚼音や器の触れる音も極力立ててはならないため、ほぼ無音の中で40〜50人が綺麗に食事しているんです。思わずゾクッとしましたね。「何だこの美しさは」と。所作自体の機能美はもちろんありますが、食事を通して禅を体現するという行為そのものに美しさがあるのではないでしょうか。
PROFILE
吉村昇洋(よしむら しょうよう)
1977年広島県生まれ。曹洞宗八屋山普門寺の副住職。公認心理師、臨床心理士として精神病院のカウンセラーも務める。駒澤大学大学院で仏教学を、広島国際大学大学院で臨床心理を学び、曹洞宗大本山永平寺の修行を経て現職に。著書に『心とくらしが整う禅の教え』(オレンジページ)、『精進料理考』(春秋社)などがあり、仏教の教えや精進料理を伝えている。
「修行は悟るための手段と思われがちですが、実はそうではなく、修行している姿そのものが悟りの姿なのです」と昇洋さんは語ります。ルーティンと戒律は似て非なるもの。未来の安心を得るために続けるのではなく、今この瞬間を整えるために茶を飲むという行為を積み重ねていく。そんな習慣化が大切なのだと気付かされました。
